教会の紹介
名草キリスト教会は、英国のバックストン宣教師の来日から始まった日本伝道隊に属するプロテスタントの教会です。名草キリスト教会の始まりは私が生まれた年と同じ1961年です。名草キリスト教会でこれまでご奉仕された牧師は景山定治牧師、糸魚川和英牧師、中島信光牧師、村山壮一牧師、そして、私、三宅弘之が続きます。牧師は、変わっていきますが、教会の主はイエス様であり、聖霊様の働きによって建て上げられていきます。
教会では、日曜日の礼拝をはじめ、平日の聖書の学び会や祈り会、そして、聖書入門コースや賛美の集いなども開かれています。初めての方も大歓迎です。
また、礼拝や学び会はZoomを使ってオンラインでも参加することが可能です。Zoomに関する情報は、「お知らせ」のページをご参照ください。
施設について
庭・玄関
初めての方も心から歓迎いたします。
コロナ対策として、受付にて消毒、また、マスクの着用をよろしくお願いします。
礼拝堂
特に決まった席はございませんので、空いているところにご自由にお掛けください。コロナ対策として、席を一つ空けて座っていただいています。
名草キリスト教会の歩み
日本伝道隊の宣教師R・ヘイウッド師、ルーク師の和歌山への伝道を通し、和歌山市に隣接する海南市での宣教が始まりました。その始まりが、現在牧師である私の誕生した年と同じ1961年でした。
その後、1968年に日本人の専任の牧師として景山定治牧師が着任し、糸魚川和英牧師、中島信光牧師とつながっていきます。
中島信光牧師の時代に現在教会が立っている土地を購入し、会堂が建てられることになり、1983年に会堂が完成し、海南から和歌山市へと移転することになりました。
2004年に至るまで長く中島信光牧師が名草キリスト教会を牧会され、その後、中島信光牧師は神戸の塩屋キリスト教会に転任となり、代わって村山壮一牧師が2年間の約束で名草キリスト教会に着任されました。
後に知らされたことですが、村山師は癌を患っていながら、名草キリスト教会での2年間の働きを全うされ、四国に戻られてしばらくして後、入院となり、主の許に召されて行きました。
四国にお見舞いに行った時、奥様が、病気であったのにそれを隠していたと話してくださいましたが、その時、村山師はこう言われました。「イエス様が私のために命を捨ててくださったのに、私がイエス様のために命を削ることは当然ではないか。すべてはイエス様から、すべてはイエス様から」そのように言っておられ、そのお顔が輝いていたのを今も忘れることができません。
私と家内はこの村山壮一牧師の後任として奉仕することになりました。そして、2023年のこの年は献堂40周年を迎えます。また、新しい教会の歴史が刻まれて行きます。
所属教団について
日本伝道隊の概略
B.F.バックストン師 |
日本伝道隊の始まりは、明治23年(1890)に英国よりB.F.バックストン宣教師が来日し、島根県の松江に居を構えたところにまで遡ります。バックストンは、名家の生まれで、才に恵まれ、周りから将来を嘱望されていた人物でした。しかし、彼はこの世の名声よりもキリストのしもべとして日本で宣教師となることを選びます。
中央:パゼット・ウィルクス師 |
1897年にバックストンの協力者としてパゼット・ウィルクスが来日します。バックストンには、当初、新たな団体を形成するという意識はありませんでした。しかし、日本伝道隊結成のビジョンはまず、ウィルクスに与えられました。そのことについての彼の言葉を引用してみましょう。「月日が経つにつれて、バックストン氏が英国に帰る時が来て、私も最初の休暇で、C. M. S.のこの宣教地を離れなければならないことを知った時に、おのずと導きを求めた。教会の現状と未伝地を見渡した時に、私の心中に雲のごとくに浮かんできたことは、御霊に満たされた日本人と『外国人』による一団の人々こそ何にもまして一番必要である。こうした人々は教会組織の色々な責任や関わりからは離れて、全教会に用いられ、積極果敢な伝道と聖書的な聖潔の布教を助けるために祈りと御言葉の御用に身を捧げるであろう。こうした団体(隊)を形成するのに私は祈りのうちに決心と信仰を固めた」
英国において、協力者を得て、1903年に日本伝道隊(JEB)が生まれました。そして、日本においても竹田俊造、三谷種吉、御牧碩太郎、ブレスウェイト夫人を評議員とし、パゼット・ウィルクスを現地主観として発足します。
神戸に伝道館が建設され、そこを中心に宣教が進められ、更には聖書学校も設立されていきました。
当初、日本伝道隊は伝道が中心で、教会を造らない団体でした。しかし、伝道の結果、群れが形成されていくとき、その群れを牧会し、教会として立ち上げていきたいと願う牧師たちが、やがて日本伝道隊から分かれて、「イエス・キリスト召団」、「復興教会」、「聖書教会」、「活水の群れ」等の教団を起こしていきます。そうした流れの中で、戦前・戦後の教会統合と再分化を経て、1951年に日本イエス・キリスト教団も誕生しました。
残された日本伝道隊の群れも、個々に教会が形成され、会堂建設がなされ、教団としての方向に向かって行くことになります。為替レートの変動や、英国での日本宣教への関心の薄れなどから、日本における日本伝道隊の働きを支えきることができなくなり、日本における日本伝道隊が自治・独立の方向に進むようにと、1995年に日本伝道隊のイギリス本部から「伝道隊UK」と「伝道隊JAPAN」に分割する案が提示されました。1996年3月5日をもって旧日本伝道隊理事会は終了し、同年3月20日に日本伝道隊第5代理事長として高松隆二師が日本人として初めて選出されました。1999年に英国のJEBはJCL(ジャパン・クリスチャン・リンク)という新しい組織に生まれ変わり、日本のJEBは、英国から完全に独立することになりました。
2003年に日本伝道隊100周年記念会が淡路夢舞台の国際会議場で盛大に行われ、新生日本伝道隊が旗揚げされました。